長林寺について
長林寺は、当初は東林寺と号し、明応8年(1499)天助高順を開山、岡見左近将監を開基として、常陸国河内荘小茎郷(茨城県つくば市)に開創されました。天正年間末頃(1590年頃)、常陸国から下野国足利郡山川村(現在地)へと移転してきました。江戸時代には、徳川幕府から20石の朱印地を賜り、地域の中心的な寺院となりました。小田原の大雄山最乗寺との古くからの縁により、東大平山(通称道了山)の山腹には道了尊が祀られ、今日も毎年5月に例大祭が開かれています。本堂は、宝暦3年(1753)・文政11年(1828)など数度の大火に見舞われましたが、弘化4年(1847)より再建され、現在の伽藍の基礎がつくられました。戦時中には、東京都麻布区南山国民学校の集団疎開学寮ともなりました。平成26年の開山五百回大遠忌では、本堂や観音堂の改修・新築工事など記念事業をおこないました。寺域の全体が山川長林寺公園として開放され、人びとの憩いの場となっています。
宗 派: 曹洞宗
本 山: 大本山 永平寺
大本山 總持寺
本 寺: 宝積寺(群馬県甘楽町)
開 山: 天助高順
開 基: 岡見左近将監
本 尊: 釈迦牟尼仏
現 住: 32世 霊嶽道彦
歴 史
年 代 | 事 項 |
正治2年(1200) | 曹洞宗の開祖道元禅師誕生する。 |
明応8年(1499) | 開基岡見左近将監により常陸国小茎郷に東林寺が創建される。開山は天助高順。 |
永禄4年(1561) | 岡見治資、東林寺に野境田地一貫文を永代寄進する。 |
永禄7年(1564) | 上杉輝虎(謙信)および家臣の柿崎景家・河田長親・由良成繁から書状を受ける。 |
永禄11年(1568) | 尾張の僧、東林寺に鰐口を寄進する。 |
天正7年(1579) | 7世源室永高、禅師号を賜わる。 |
天正18年(1590) | このころ、足利郡山川村へ移転する。 |
天正19年(1591) | 徳川家康から20石の寺領が寄進され、禁制が出される。この頃から長林寺と号する。 |
元禄12年(1699) | 本尊の釈迦如来像、脇侍の文殊菩薩・普賢菩薩像、大権修利菩薩像、達磨大師像が造立される。 |
宝永3年(1706) | 六角広治、十一面千手観音坐像を寄進する。 |
延享3年(1746) | 長林寺が寺社奉行へ由緒書を提出する。 |
宝暦3年(1753) | 長林寺の本堂が火事となる。 |
宝暦8年(1758) | 道了堂が修造される。 |
明和7年(1770) | 20世満全知足代、梵鐘を鋳造する。 |
享和元年(1801) | 常陸国河内郡牛久の七条大仏師青木元知が祖師像六躰を造立する。 |
文化11年(1814) | 長林寺の本堂が火事となる。 |
文政元年(1818) | 近江彦根藩士の岡見正懿(念々斎癡了居士)が長林寺に法華経を納経する。 |
文政11年(1828) | 長林寺の諸堂、火災で焼失する。 |
弘化4年(1847) | 長林寺の本堂など諸堂が再建される。 |
明治26年(1893) | 本堂屋根修復工事を行う。 |
昭和19年(1944) | 東京都麻布区南山国民学校の学童集団疎開の学寮となる。 |
昭和28年(1953) | 権現池弁天島に岡上顕彰碑が建立される。 |
昭和29年(1954) | 31世昭文代、本堂屋根を改修する。 |
昭和33年(1958) | 道了堂基礎改修工事が行われる。 |
昭和47年(1972) | 鐘楼を再建し、梵鐘を再鋳造する。 |
昭和56年(1981) | 格地寺院へ昇等する。 |
平成元年(1989) | 橋本墓地移転改葬事業が終了する。権現池改修工事、竣工する。 |
平成12年(2000) | 『昭文和尚の思い出』を出版する。 |
平成16年(2004) | 『大般若再勧化簿』が修復される。 |
平成18年(2006) | 草刊五百年記念事業として『下野山川長林寺乃研究』を発刊する。 |
平成21年(2009) | 開山五百回大遠忌事業委員会(菊地栄太郎委員長)発足する。 |
平成22年(2010) | 開山五百回大遠忌記念事業として『集団疎開学校寮の記録-麻布南山国民学校と足利郡毛野村長林寺-』を発刊する。 |
平成24年(2012) | 本堂大改修工事が竣工する。 |
平成26年(2014) | 正当 開山五百回大遠忌法要が営まれる。『山川長林寺の歩みと文化財』『山川長林寺と開基岡見氏』を発刊する。 |
建造物
本 堂
観音堂
道了堂
寺宝
祖師像
観音堂から五躰の祖師像が発見されました。体内銘や頭部の古文書から享和元年(1801)に六躰制作されたことがわかりました。修復された後、本堂内の祖師堂に安置されています。
十一面千手観音坐像
宝永3年(1706)、山川村の領主であった六角広治が奉納した十一面千手観音坐像です。奉納した古文書とともに伝えられ、境内の観音堂に安置されています。長林寺は観音信仰の霊場(足利板東十四番札所)でもありました。
鰐口
永禄11年(1568)、東林寺に寄進された鰐口です。「常州河内小茎郷東林寺鎮守御宝前 奉寄進尾州住僧 千時永禄十一季戊辰二月吉日」と銘文があります。足利市指定文化財
上杉謙信書状
永禄4年(1561)に上杉輝虎(謙信)から送られた書状です。このほかに謙信の家臣である河田長親・柿崎景家・由良成繁の書状も残されています。
岡見正懿奉納法華経
開基岡見氏の子孫である彦根藩士岡見正懿(念々斎癡了居士)が、文政元年(1818)に長林寺に納経した法華経です。